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各位の寄稿にたいする一当事者折原の応答1

折原浩

2004220

 

 

橋本努氏がこの「コーナー」を開設され、各位の寄稿も出始めて面白くなってきました。

筆者も、当事者のひとりとして、各位の寄稿にできるかぎり正確に応答したいと思います。併せて、なにかのご参考にもなればと思い、学問へのスタンスと周辺事情にかんする老生の見解も、ところどころに織り交ぜていきます。

 

 

1.124日付け森川剛光氏の寄稿について

  森川さん、ご多忙のところを、よくぞ応答第一号を寄稿してくださいました。

 このコーナーにアクセスされる方々のなかには、まだ森川さんをご存知でない方もおられるのではないかと思いますので、筆者からも簡単に、筆者とのかかわりのかぎりでご紹介させていただきます。

森川さんは、ご自身、謙虚ながら自信にみちて「Weberの科学論集は読み込んだといっても恥ずかしくない」といっておられ、橋本氏の紹介にもあるとおり、Weberの『科学論集』を精読し、(いまでは忘れられている) Gottlとの関連を掘り起こし、「理念型」について整合的な解釈を打ち出し、広く西洋の論理学史のなかに位置づける、という画期的な研究で、学界にデヴューされました。じつは、その主著と主要論文のなかで、「客観性」論文邦訳への筆者の解説のある箇所が(氏の主題との関連で)批判されているのですが、筆者はこれを歓迎/重視し、「第七刷へのあとがき(訂正と補足)」に約3ぺージのスペースを割いて暫定的に応答しました。また、昨年、神戸大学社会学研究会編『社会学雑誌』第20号に寄稿した論文「マックス・ヴェーバーにおける社会学の生成I. 190307年期の学問構想と方法」も、森川氏の業績とくに筆者への批判を念頭に置いて書いています。くわしくは、森川論文と筆者の論考とを、このばあいについても対置して相互検証に付していただきたいのですが、争点は、「ヴェーバーの学問総体は『現実科学』(森川説) か、それとも『現実科学と法則科学との独自の総合』(折原説)か、とすれば、そのばあいの『現実科学』とはいかなる意味か」というふうに要約してさしつかえないでしょう。いずれにせよ、森川氏とのあいだでは、このようにして対等な(本コーナー掲載の別稿「学問論争をめぐる現状況」にいう)「生産的限定論争」が成り立ちますし、現に成り立っています。しかも、いまのところ「森川説優勢」といえます。

それはともかく、森川氏は30代半ば、筆者は70に近い老人です。しかし、そんなことは、学問論争にはなんの関係もありません。むしろ筆者は、学問的にも人間的にも成熟した新進気鋭の若手研究者が現れ、筆者と対等に「渡り合って」くれることを、このうえなく喜び、「学者は、自分の仕事が乗り越えられることを、ただたんに『甘受』するのではなく、むしろそれを『目的』とするのでなければ、仕事ができない」というヴェーバーの言葉を味わいなおし、森川氏のような新進気鋭の研究者がどんどん出てきて、筆者を乗り越え、より高い(あるいはより深い)地平に到達してくれるように、乗り越えられるべき自分も、できるかぎり高い(あるいは深い)地点にまで到達しておかなければならない、と決意を新たにして仕事をしています。

その森川氏が、「『倫理』論文は内在的反論の役をみずから買って出るほど読み込んではいないが」と断りながらも、(「倫理」論文については同様の自己限定のもとにある)筆者の反論でも、「私がいいたいことはほぼ出てしま」っている、と評価してくださったことは、氏が上記のとおり自立的/自律的な研究者であることを思うにつけ、筆者として率直に喜び、意を強くする次第です。ただ望むらくは、森川氏としては、こういうばあいにはやはり、「ほぼ出てしまっている」といわれる諸論点の具体的内容を森川氏自身の表現で要約的にも提示してくださったほうがよかったのではないか、よいのではないか、と思います。

また、このさい森川氏なればこそお願いしておきたいのは、今後なにか同じような、つまり、ご自身が「読み込んで」いる専門領域はもとより、たとえそうでない周辺領域でも、羽入書のような、一見緻密ながらじつは粗暴で学問性そのものを侵害する「ためにする際物本」が「言論の公共空間」に登場し、人々を惑わせるような事件が起きたときには、関連文献を「読み込み」、いちはやく反論し、議論の素材を提供して、論争の当事者となる「役をみずから買って出」ていただきたい、ということです。というよりも、この点は、すべての「中堅」と「若手」の研究者に期待することなのですが、とりわけ森川氏にはお願いしておきたいのです。

 

森川氏が、氏の学風からして、客観的・論理的意味解釈とそれにもとづく内在批判でこそ本領を発揮されるはずなのに、「応答」の第二パラグラフから知識社会学的外在考察に移り、以後延々と対橋本問答を繰り広げておられるのは、ちょっと意外でした。しかし、ヴェーバーの方法論を学び、方法を会得した人が、客観的意味解釈の平面で「不可解なもの」に遭遇すれば、「なぜ、こんなことをいうのだろう」と「動機」に遡及し、外在考察に移るのは、自然なことですし、ジンメルからヴェーバーをへてマンハイムにいたる社会科学方法論のうえで、定式化されていることでもありますよね。

筆者も、羽入書の、「ヴェーバー研究者」を横目でにらみながら、自分で創り上げた「ヴェーバー偶像」を、無理も矛盾もものともせず、しゃにむに引き倒そうとする異様な筆致から、「抽象的情熱」ないし「偶像崇拝と同位対立の関係にある偶像破壊衝動」という執筆動機に行き当たりました。そして、その形成事情と構造的背景に思いをめぐらし、一定の明証性をそなえた仮説的結論にまでは到達しています。しかしいまは、論争の一方の当事者として、他方の主役の登場を待っている段階ですから、あまり論点を広げすぎて、きたるべき議論を拡散させないほうがよいだろうと思います。橋本氏の「成長論的自由主義」、とりわけ「知的祭り上げ」や「詐欺師の誘惑」といった論点にも、筆者としては疑問があり、いずれ「生産的限定論争」を闘わさなければならないと考えていますが、同じ理由で、いまは批判的論及を控えます。

 

ただ、この論争の主題にかかわるかぎりで、いくつか管見を述べさせていただきます。

ひとつは、羽入書の前提をなしているという「ヴェーバー偶像崇拝」ないし「ヴェーバー産業」の問題です。そうしたものが、大先達・大塚久雄氏の、政治状況に呼応する半評論家的啓蒙活動によって一時期隆盛を極め、羽入書の「偶像破壊」の前提になっている、というのは、森川氏や橋本氏の推測のとおりであろうと思います。羽入書が唯一微小部分をとり上げた「倫理」論文については、大塚門下に専門家ともいうべき錚々たる研究者が多く、羽入書で大塚氏があれほど「こき下ろされたり、持ち上げられたり」、無礼な扱いを受けているのに、だれひとり反論に立ち上がらず、いまのところ「総崩れ」の様相を呈しているのも、かれらが大塚氏から「ヴェーバー偶像崇拝」ないし「ヴェーバー産業」を拝領しながら、ヴェーバーの学問内容フェアプレーの精神は受け継がなかった実情を、問わず語りに語り出し、両氏の推測の証左をなしているといえましょう。

ところで、筆者は、その大塚氏を、「マックス・ヴェーバー生誕百年記念シンポジウム」で初めてお目にかかって以来、当初には名を伏せ、ある時期からは名指しで、いずれにせよ氏がその気になればいつでも反論/反批判が可能な条件を確かめ、公開場裡でフェアに批判してきたつもりです。というのも、「シンポジウム」では、筆者なりに報告も裏方も精一杯つとめたのですが、「学界においても『一極支配』にあたるものはよくない、『自由』は多極間の狭間にある」というのが筆者の持論で、「シンポジウム」は、――この点では石田雄氏の評価とは正反対ですが――大塚氏を「小天皇」とする「小天皇制集団」の権威主義的一極支配体制が頂点に達した「記念祭」、したがってその「没落の序幕」でもある、と筆者には思えたのです。ちなみに、山之内靖氏がかつては、この「シンポジウム」における折原報告/発言その他を、「近代批判者としてのヴェーバー像」の萌芽ないし嚆矢として評価してくれていたにもかかわらず、あえてこちらから論争を仕掛けて対峙したのも、ひとつには、氏が、大塚氏の「マルクスとヴェーバー」に代えて「ニーチェとヴェーバー」を旗印とする「お山の大将」となって、未成熟な「若手」を周囲に集め、大塚流「小天皇制集団」を縮小再生産し、「一極」を形成しようとする挙に出て(『ニーチェとヴェーバー』、1993年、未來社、IG〜IIB)、主観的意図はともかく、「若手」の自立性/自律性を殺ぐ有害な影響を与え始めた、と見たからです

さて、「シンポジウム」以降の大塚氏および大塚門下にたいする筆者の批判が、公然とヴェーバーに準拠しながらであったため、その筆者が、(「崇拝−破壊」の準拠枠でみて)かれらに輪をかけた「ヴェーバー崇拝者」ではないか、と疑われるのも、半ば論理的/半ば心理的にもっともと思います。筆者自身、たえずそうした批判を自分に向け替えて反省を怠らず、具体的に的を射られたら、いつでもいさぎよく自己批判して改めるつもりですが、ヴェーバーへの正直な傾倒は、基本的に偶像崇拝ではないと思っています。

かれヴェーバーの、フェア・プレーの規範を掲げながら、たえず背反するおのれのいたらなさに悩みつつも、なおかつフェア・プレーに徹しようする「生き方」と、そこから紡ぎ出される学問の深さと広さへの、人間としてまた研究者として率直な共感と敬意が、筆者の取り組みの基調をなしています。この「学問の深さと広さ」については、拙著『ヴェーバー学のすすめ』で語ったことですが、わずかに補足を加えていまいちど繰り返すとすれば、「実存的(問題設定者・)思考者でありながら、(実存主義者には)通有の『狭さ』には陥らず、かえって極限まで思想の地平を拡大し、古今東西の文化を展望する独自の歴史・社会科学を構築し、普遍史的・世界史的パースペクティーフを開示し(ながら)、なおかつそのなかに、やはりおのれとおのれの属する文化の実存的境位を位置づけつつ捉え返していった、というところに、ヴェーバー的実存とその営為のいまだに死後百年近くたっても汲み尽くされない固有価値があると確信してい」(123ページ)ます。

この点、森川氏は先刻ご承知の前提ながら、たとえばパーソンズの(それはそれとして価値があるにちがいない)「法則科学」的社会学によって、ヴェーバーの「現実科学と法則科学との独自の総合」が乗り越えられている、あるいは「止揚」されている、とすれば、なにもヴェーバーにまで遡って「『ヴェーバー的法則科学』研究」に専念する必要はない、そんなことに「ことによると一生を捧げるなんて阿呆らしい」ということになりますね。そのばあいの「ヴェーバー研究」とは、せいぜい現代の頂点から振り返っての部分評価に尽きるでしょう。

ところが、そうではないのですね、森川さん。ヴェーバーの「現実科学」ないし「現実科学と法則科学との独自の総合」には、方法的にも内容的にも、逆に、現代最先端の「法則科学」も「止揚」されるはずです。したがって、かれの「現実科学と法則科学との独自の総合」を方法上/内容上再構成できれば、ヴェーバー没後百年の空白を埋め現代の歴史・社会科学の最先端に立つことになる。ところが、その「総合」には、「50年たてば乗り越えられる」というヴェーバー自身の言に反して、まだだれも到達していないばかりか、基本テクストすら整備されていない。半評論はともかく、学問としては、これでは「総合」の骨格を掴み、内容上の射程を見定めることすらおぼつかない。できることはせいぜい、換骨奪胎か、断片応用で、たとえば「祭司対騎士の対抗軸」ひとつ取り出して「全体像」と称し、「オードブルを食べただけで能事終われり」とする人が、「お山の大将」となって周囲に「子分」を集めようとする。哀しいかな、これが現状で、しかもその貧しさに気がつく人は少ない。

ちなみに、筆者も若いころは、「ヴェーバー的『総合』の方法的/内容的再構成」をやりとげ、ヴェーバー没後の研究成果も貪婪に摂取して内容上の拡充をはかっていくことこそ「ヴェーバーを内在的に乗り越える」道で、日本というこの社会における人文/社会科学を、東西文化の狭間という文化地政学的条件を活かし、ヴェーバー的「総合」を礎とする「比較文化史・社会科学」の方向で活性化し、国際的な拠点にもしたい、というような、野望を抱いていました。そうすることが、この日本でヴェーバー研究に携わる内容上の意味のひとつでもある、と考え、張り切ってもいました。しかし、この歳になりますと、やはり「アートは長く、人生は短い」、とてもひとりではやりきれないと観念し、諦観に生きざるをえません。ただその夢は捨てず、「『経済と社会』全体の再構成」だけでもやりとげて、後続世代の学問上の新研究と乗り越えにそなえる礎のひとつとし、併せて、『マックス・ヴェーバー全集』版『経済と社会』該当巻にかぎっては、(「本場」ドイツ人学者の独壇場で日本人はお呼びでないと思われていた)テクスト編纂にかけても、漢学/訓詁学の伝統を活かし、西洋学問の基準に照らしても評価される積極的貢献をなしとげて、日本のヴェーバー研究にたいする国際的評価をたかめ、国際的な拠点づくりへの一里塚ともしたい、と考えています。じつは(自分でいうのもなんですが)、『マックス・ヴェーバー全集』T/22(『経済と社会』「第二部」該当)巻については、なるほど『全集』全体の編纂者シュルフターやモムゼンとの関係は、『ケルン社会学・社会心理学雑誌』や『マックス・ヴェーバー研究』誌上における批判的・否定的対決のほうが目立つでしょうが、かれらの指揮下にある分巻、とりわけ第二分巻『宗教ゲマインシャフト』の実質的編纂者キッペンベルクなどは、「序論」「編纂報告」「同付録」で、筆者の研究成果を大幅に取り入れ、確実に編纂を進めています。この点は、当該巻をひもといてくだされば明らかなはずです。ですから、筆者一個人にかぎっては(つまり、当然ながら幼弱な後続世代への影響という永い目でみて大変重要な問題を度外視すれば)、そういう自分の仕事が「偶像崇拝」、「知的祭り上げ」、その他なんといわれようとも「どうでもいい」のです。

ところが、そうしたヴェーバー研究が、この日本とりわけ社会学の領域では、意外にやりにくいという現実があります。

筆者の恩師であった指導的社会学者、たとえば(話を筆者の見聞の範囲に絞りますが)尾高邦雄氏や福武直氏には、戦前から戦中にかけて『社会科学方法論序説』や『社会学と社会的現実』といった、たんに「ドイツ的」というのではなく優れた、研究業績がありました。ところが、かれらは戦後、学問内在的な展開というよりもむしろ政治的外圧に適応する形で、一挙にアメリカ流調査業績プラグマティズムに鞍替えしたのです。この流儀では、およそ理論や思想は、「先行研究」――つまり、「調査研究」の、いちはやく切り上げられるべき前段階――、さらにはその背景にまで追いやられ、貶価され、矮小化されます。この流儀に漬かった人たちは、「先行理論」のなかには一生を捧げても悔ないほどの「固有価値」をそなえたものがあろうなどとは、つゆ思わないし、およそ考えようともしないでしょう。それにひきかえ、「調査」であれば、どんなものでも「一次資料」を押さえ、そのかぎり「独創性」を主張できて「業績」になります。ですから、大衆的社会学において、アメリカ流の調査業績プラグマティズムが主流をなしていくであろうことは、目に見えていました。

筆者は、幸いなことに、そういう社会学研究室に入るまえに、受験生のころにヴェーバーと出会い、ヴェーバー研究を志し、目的合理的に、ということはつまり相対的な手段として社会学科を選択していました。ですから、社会学研究室の主流にも、当時は「対抗力」として機能しえていたマルクス主義にも、距離をとって臨み、「どっぷり漬からずに」すみました。ただ、いつも「そろそろ『社会学学』は切り上げ、本格的な『社会学的調査』に取り組んだらどうか」という眼差しにさらされ、いちいち「利用価値に還元されない固有価値もあるのだ」という趣旨のことを説いてまわらなければならないのも「しんどい」ことでしたし、あるときには、調査プロジェクトの「現場監督」役を迫る指導教官にたいして、不利と知りつつ指導教官の交替を願い出たこともありました。

これは、いっそう根本的には、「戦後思想」の欠陥のひとつ、政治、学問、ジャーナリズムの三者が、鋭く区別されず曖昧に混淆されている問題の一現象形態としても、捉え返されましょう。政治における「民主主義」、それも「平等主義」が、野放図に学問内容にもおしおよぼされて、こういういい方すら神経を逆撫でするでしょうが、どんな「馬の骨」もヴェーバーも、ひとしなみに「先行研究」のひとつとして扱われる。そうかと思うと、学問内容に限定されるべき「精神貴族主義」的価値規準を、一著作者としての市民的・「生活者」的義務・責任という(広義では政治の)領域に持ち込み、「自分の関心を特権化し、「自分の課題(自称)「巨大(誇大化)することによって、読者にたいする著作者としての義務責任の回避を正当化する人も出てくる。また、大学を「腰掛け」として利用している無責任な半学者・半評論家・没教育者の伝統という(日高六郎氏から松原隆一郎氏にいたる)問題も、手つかずのまま残されています。いつか、ヴェーバー「中間考察」の手法を応用して、この三領域の「緊張関係」を切開し、理念型的に定式化したうえで、類例間の比較研究を試みる必要がありますね。

そういうわけで、ヴェーバーの「固有価値」に定位する研究は、「先行研究」の枠組みを押しかぶせようとする勢力に取り囲まれ、これに抵抗しつづけなければならないため、内面的にはけっこうたいへんで、やはりどうしても「ひとり狼」にならないとやっていけません。しかし、そう割り切れば、「戦後社会学」総体を相対化して「先行研究」視点とは異なる視座からものを見ることができます。だれがどこで、ヴェーバー研究から単純に逃げたか、あるいは、きちんと総括し筋道をつけて「ヴェーバーからの研究」(拙著、417ページ)に転身していったか、よく見え、よく分かります。 

さて、ヴェーバー研究をめぐる諸条件は、今日でもさして変わっていないか、かえってきびしくなっているでしょう。「理論社会学」のポストが減っているとあっては、いよいよもってしかりと思われます。ですから、筆者には、そうした悪条件のもとでも、広い意味でヴェーバー研究を志す若い人たちのことが気になりますし、飛び抜けた人はともかく、まだ若くて志望が当然不安定な人々に、あるいはその周辺に、羽入書のようなものがどう影響するか、という問題も、無責任に「どうでもいい」とやり過ごすわけにはいきません。

なお、上記のことに一言付け加えますと、筆者も、調査そのものを避けていたのではありません。福武氏の農村調査実習、尾高氏や北川隆吉氏の産業/労働/地域調査プロジェクトなどに参加し、ひととおりのことは学び、経験しました。そこからは、「社会的事実の確かな手応え」とでもいうべき感覚が残り、同じ文献研究/理論研究でも、あちこちから思想の上澄みを出来上がったものとしてかすめ取ってきては、大急ぎで組み合わせ、華々しくも空疎に飾りたてる抽象パズルのような代物には、どうしても違和感を抱き、批判を加えずにはいられない素地として、はたらいています。また、社会学関係のポストでは、調査研究の経験がないと、研究指導や論文審査のさいに、おおよその判断がつかなくて困るでしょう。「自分の専門ではないから」と同僚に頼み通すわけにはいきません。

筆者は、そのようにしてアメリカ流調査業績プラグマティズムに内面では「抗し」、じっさいには「就かず、離れず」のスタンスをとりながら、ヴェーバー研究を進めました。では、院生のころ、ヴェーバー研究にとって積極的な契機はなかったのかというと、そうではありません。ただそれは、隣接・倫理学教室の金子武蔵ゼミによって与えられました。筆者はそこから、自分の進むべき方向について示唆をえました。そのゼミには、抜群の素質と才能を見込まれてNHKから呼び戻された浜井修氏も出席しておられ、同氏とはその後、東大教養学部社会科学科で、同僚として過ごす一時期がありました。ところが、その倫理学研究室から、羽入氏が出自したのです。この関係も、筆者がこの問題を避けては通れないと思う理由のひとつです。しかしこの点には、大学院教育の問題との関連において、いつか別稿で、詳しく論じたいと思います。

 

さて、話が脱線してやや散漫になってきました。大塚門下の「聖マックス崇拝」も下火になり、そう見紛われやすい筆者も、じつはそうではない、というところから、「固有価値」に定位するヴェーバー研究とその条件という問題に入って、若い方たちに多少とも(たとえば「時代的比較の対照項」として)参考になろうかと、自分の経験に沿って話をしてきたつもりです。

ここで、話を元に戻しますと、かりに羽入書の執筆動機が森川氏のいうとおり「偶像破壊」で、その「偶像」が大塚氏と大塚門下の所産であり、その後そうした「偶像崇拝」そのものが下火になったとすれば、羽入書のようなものも、前提ないし対象を失って下火になる、筆者は、一大塚批判者ながら、大塚門下に代わって「後始末」の「火消し」役を果たした(いや果たそうとしている)ということになりましょう。であれば、森川氏以降の世代は、その「焼け跡」から、「畏怖もルサンチマンももたない世代」として、再発の憂いなく出発できる、ということになります。

そうなるかもしれないし、そうなれば一件落着で「めでたし、めでたし」です。筆者も、そうなることを願っています。しかし、どうも、そううまくはいかない客観的可能性も、考えておかなければなりません。森川氏は、偶像があって初めて「偶像破壊衝動」も目覚めるという前提のうえに立っていますね。しかし、「破壊衝動」のほうが先に形成され、あとから破壊すべき偶像を見つける、あるいは創り出す、という関係もあって、羽入氏のばあいにはたまたま、アカデミズムのなかで「聖マックス」という少し古いけれども格好の偶像が見つかった、というのかもしれません。そうだとすると、「破壊衝動」そのものの発生源が制御されないかぎりは、羽入氏にかぎらず、現代大衆教育社会の諸条件のもとで構造的に生産/再生産され、高学歴層なら高学歴層という貯水槽に沈殿/鬱積するルサンチマンや「破壊衝動」が、こんどは別の、かならずしもアカデミズム内部とはかぎらないところに「偶像」を見つけるか、創り出すかして、発動され、(下手すると)組織化される、ということも、ありえないことではない。たとえば、大学院修士課程終了者――それも、正確にいえば、修士課程かぎりで、研究者としての自分の将来が閉ざされたと思い込み、他の分野に転身して「生きる意味」を見いだすこともできなかったいわば「挫折秀才」「自分の『真価』が世に認められないといって不満をつのらせる人々 les incompris」――の「逆恨み」が、ー「偽預言者」への「偶像崇拝」に凝結し、「自分がそこに生きる時代のコンテクスト」「生活者としての日常性にかかわる社会的相互関係の場」を混乱と恐怖に陥れたさる事件の「熱さも、喉元すぎれば忘れ」、ニヒリズムの多様な発現形態にたいする憂慮も洞察もないというのでは、「ニーチェ読みのニーチェ知らず」というほかないではありませんか。そういうわけで、ここでもやはり、羽入書の内在批判から、執筆動機とその形成過程にかかわる外在的・知識社会学的考察に移らざるをえない、ということになってきます。

しかし、そこでひとつ提案なのですが、このコーナーになるべく多くの論客が登場して、思い思いに自由に討論するのは、それはそれとしてたいへんよいことですし、橋本氏の「肺活量」の範囲内で、できるかぎりやっていきましょう。でも、問題を「知識人と大衆」というような一般論、あるいはさらに「時代のコンテクスト」とか「社会的相互関係の場」といった、ふやけた議論に持ち込むのは、どんなものでしょう。主軸は、羽入書から提起されてくる具体的問題です。羽入書の特異な「自殺要求」(別稿「学問論争をめぐる現状況」§1. 参照)と正面対決し、ひとまず内在批判に徹し、そこから一方では「動機形成とその構造的背景」、他方では「虚像形成過程と知識人群像(諸類型)」(同、§§1011. 参照)に遡行し、「芋づる式」に関連諸契機を探り当て、そこから初めて、それら諸契機の織りなす「時代のコンテクスト」も具体的に探り出していかなければなりません。一口に「知識人」といっても、羽入氏と筆者、「山本七平賞」の選考委員と雀部幸隆氏、橋本氏と森川氏と今後の応答者、等々、それぞれこの問題にたいする関与とスタンスを異にし、それに応じて、学生/院生、あるいは読者層を媒介とする、大衆との関係のあり方/つくり方も違っていて、一括して論じても無意味ではないでしょうか。この日本という社会における、ヴェーバー研究を含む歴史・社会科学の、永い目で見た発展と、批判的理性/学問性の拠点の確保というパースペクティーフから、ひとつひとつ問題を掘り起こし、具体的に論じ、着実に解決していきたいものです。

最後に一点。「羽入本の論点のなかから、救うに値するものを救おうという橋本さんの態度は、respektable」という点についてですが、一般論としてはそのとおりでしょう。しかし、筆者は、「生産的限定論争」と「自殺要求」との区別を曖昧にして、「総花的寛容」という「マンハイムの誤算」(拙著『危機における人間と学問』、1969、未來社、参照)に陥ってはならないと思います。羽入書はもっぱら「自殺要求」を出してきているのですから、その不当性を論証し、撤回させ、自己批判させてから、いくらでも「生産的限定論争」を闘わせましょう。この順序をとりちがえてはなりません。

では、今日はこのへんで。森川氏のさらなるご発展を祈ります。(2004215日記)

 

 

2.1月29日付け山之内靖氏の寄稿について

筆者としては、山之内氏が、ものごとを原則的/客観的に判断し、この状況に的確に対応してくださるにちがいない、と期待していましたので、ご寄稿を拝読して驚き、たいへん残念に思います。

橋本氏は、山之内氏に、「いま、なにに関心をおもちですか、どんなお仕事をなさっていますか」と一般的にお伺いをたてたわけではないでしょう。そうではなくて、「ヴェーバー研究者、それも『マックス・ヴェーバー入門』の著者として、羽入書にどう対応なさいますか」と問うたのです。というのも、羽入書は、当のマックス・ヴェーバーを「詐欺師」「犯罪者」と決めつけており、かりにその主張が正しいとすると、山之内氏は、『詐欺師入門』の著者ということにならざるをえません。そんなことを山之内氏がお認めになるはずはない、かならず反論がおありだろう、しかしそれを「胸の内」にしまっておかれたままでは、しだいに「いったいどうなっているのか」という戸惑いが広がってくるし、とりわけ氏の『入門』によって文字どおりマックス・ヴェーバーに入門した(定義上初心者の)読者の戸惑いは大きく、『入門』執筆の折角のご努力も仇となりかねない、とすればこのさい、なにに関心をおもちでどんなお仕事をなさっているかにかかわりなく、数多のヴェーバー研究書とりわけ『入門』の著者として、反論を発表なさる――さなくともなにか発言なさる――社会的責任がおありではないか、発言なさるのであれば、どうかこの「コーナー」をお使いください、というのが、橋本氏が山之内氏に宛てた書状の趣旨だった、と筆者は了解しています。

ところが山之内氏は、このばあいにもそうであるように、しばしば「専門家」に代えて「生活者」というカテゴリーを持ち出し、「専門家」は(おそらくご自分は除いて)すべて「専門バカ」「創造性を欠いた専門研究者」であるかのようにいわれます。しかしそれは、ご自身が一専門家として(一専門的生活者として、他の生活者にたいしても)負っている責任を回避する「逃げ向上」ではないのでしょうか。

生活者は、火の粉がふりかかってきたら払い除けます。火の粉に「関心がある」からではありません。また、主観的意図はどうあれ、自分たちを火事場に連れ出した人がいて、その人が、火の性質、したがって火の粉を振り払って火を消す術に自分たちよりも明るいと見たら、なにはともあれ先頭に立って火の粉を払い除けてくれるように期待するでしょう。かれがその期待に応えたら、それを見習い、思い思いに工夫もして、徐々に火元に迫り、消し止めようとするでしょう。しかし、どういうわけか、火を煽り立てる人々がいて、火勢が衰えず、人々は苦戦を強いられています。ちょうどそのとき、張本人が、野次馬のなかに逃げ込んで「身の安全」を確かめてから、「わたしは火の粉にも、火事にも関心がない。わたしの関心は、あなたがた『生活者……の日常性にかかわる社会的相互関係の場』を念頭においてはいるが、『ヴァーチャル化(仮想現実化)した生活秩序の背後にある存在論的問題性をどのように自覚化し、それを表現する社会運動へと結晶化してゆくのか』というような『巨大な課題』(強調引用者、以下同様)にのみ向けられるのであって、わたしには、『火の粉を払い除ける』あるいはせいぜい『延焼を防ぎ、火元の構造をつきとめ、耐火設計を考える』というような『小さな問題』に『かかわっている暇などない』、そんな問題は『強迫観念』の産物に過ぎない」と言い放ったとしましょう。人々は、一瞬振り向いて「この人、気は確かか」と顔を見つめなおすでしょうが、ただちに見限って、現実に火の粉を払い、火事を消し止める努力を懸命につづけるにちがいありません。

そればかりではありません。山之内氏とまったく同様、羽入書そのものに「関心をも」てるわけがなく、山之内氏ほど「巨大」ではないにせよ、当人には過大と感得されている「課題」が「頭と身体を捉え」ているヴェーバー研究者は、大勢いるでしょう。いや、羽入書にたいしては、ほとんどすべてのヴェーバー研究者が、大同小異そうした状況におかれたにちがいありません。ところが、そのなかから、どうもこの火事は、放っておくわけにはいかないようだ、今回は「ヴェーバー業界」の現場で起きたにせよ、火種/火元は単純ではなさそうで、ばあいによっては他の「業界」にも、他の社会領域にも(異なる現象形態をとって)波及しかねない、他方、火の粉をかぶっている読者について、山之内著『入門』の読者か、そうでないか、などといっているばあいではない、と見た者がひとり出てきて、あえて暇をつくり」、羽入書の激越な「自殺要求」を真正面から受け止めて内在的に批判し、他方、『入門の読者ともいっしょに火の粉を振り払いながら、警鐘を鳴らし始めたとしましょう。ところがどうやら、そのことが、山之内氏には、お気に召さないらしい。山之内氏が放棄している社会的責任を、そのひとりが代わって引き受けている、というまさにそのことが、氏の逆鱗に触れる、ようなのです。

「応答」の最後のパラグラフは、どう読んでも羽入書と筆者に当てつけて書かれているとしか思えません。「マルクスやヴェーバーから与えられた知の一つの可能性を、新たなコンテクストのなかで絶えず新たなものへと更新すること、その創造性こそが、問われているのです。」ご高説ごもっとも、たいへん結構です。この「コーナー」に関与している人々、また関与しようとしている人々も、羽入書/羽入事件という現実の問題を軸に、知の継受と更新を目指しています。ただ、それを「創造性」「独創性」云々と、仰々しくひけらかさないだけです。問題は、これにつづく結びの一文です。「そうした創造性を欠いた専門研究者たちが、文献学的に地道に論じるべき事柄を詐欺行為などと大げさに粉飾したり、あるいは、ヴェーバーをそうした売名行為から守ることが学者の倫理性や知的誠実さを示す証なのだ、という強迫観念にとりつかれたりするのです。」

名指しは避けていますが、山之内氏はここで、羽入書を「文献学的に地道に論じるべき事柄を詐欺行為などと大げさに粉飾した……売名行為」と要約したつもりでしょう。しかし、冒頭で「羽生(ママ)氏の議論に…、まったく関心がありません」といい、(それなら「だからなにもいわない」というのであれば、まだしも首尾一貫はするのに、やはり一知半解のままなにかいわなければ気がすまないらしく)「(ピュウリタニズムを射程に入れている)バウマンの発言は、どうやら、羽入氏の論点と重なるところがあり、その先駆の一つと言ってよいでしょう」などと、例によって(「羽入氏の論点」とはいかなる内容で、「バウマンの発言」とどう重なるのか、具体的論及は避けながら)ピンぼけの「思想パズル」をただもったいぶってやってのける山之内氏に、いったいどうして、羽入書につき、上記のような要約ができるのでしょうか。このばあい「文献学的に地道に論じるべき事柄」とはなにか、それを羽入氏がどう「大げさに粉飾した」のか、が肝要なのであって、そうした問題にかんする具体的論証内容を携えずに土俵にのぼったら、山之内氏は、羽入氏に完膚なきまでに叩きのめされますよ。山之内氏が、いまになってそうした問題発言をいとも気楽に公表できるのも、当の命題を羽入書に内在して具体的に論証した仕事と、橋本氏による論点整理とが、すでに出ているからこそではありませんか。

そこを、山之内靖氏という方は、前回の論争(『未来』、1997, 9, 10, 12月号)でも指摘したとおり、いつも「宴会に遅れて出てきては最上座に就こう」(ニーチェ)とされます。今回はそのうえ、三度にわたって「強迫観念」云々と罵言を投げ返し、一度などは「ヴェーバーだけにしがみついて、その学問的体系性が破壊されたら自分の存在に意味がなくなる、などと考える……馬鹿げ……た思い込みに従って、ヴェーバーへのあらゆる非難に首を突っ込み、そうすることによって自分を研究者的倫理性の模範だと主張するような強迫観念」とまで書いて――狡獪に名指しは避け、筆者の羽入書論駁の執筆動機が、あいにく山之内氏が決めつけたがるような、そうしたものではない、との反証に「肩透かし」をくわせ、「一般論を語ったのに、図星なので怒るのか」ととぼける余地を残しながら――筆者に当てつけ、「[そうした]強迫観念から私は自由でありたいと願っています」と開き直られるのです。

しかし、山之内氏自身がいかに巧みに「ものはいいよう」の限界を行かれようとも、客観的には、氏が「恩に仇をもって報いている」、すなわち、「氏自身も『入門』の著者として負っていながら、自分では果たせない『社会的責任』の代替的履行という『恩』に、そういう悪罵の『仇』をもって報いている」のは、だれの目にも明らかではありませんか。ヴェーバーは、当事者の(当事者としてのリスクと苦労ゆえに鋭い)論証を「どさくさにまぎれて」かすめ取る上記のようなやり方を、シュタムラーについてですが、「思想的な火事場泥棒をはたらくim gedanklich "Trueben" zu fischen」(Gesammelte Aufsaetze zur Wissenschaftslehre, 7. Aufl., 1988, Tuebingen, S. 319)にひとしい、とまでいって、きびしく批判しました(念のために申し添えますが、「泥棒である」との全称判断をくだし、人格攻撃を加えたわけではありません)。山之内氏が、それも「強迫観念のうち」といわれるならば、ご自分のほうは相当な「弛緩観念」(この場かぎりにおける筆者の造語で、精神神経医学の術語ではありません)に陥っている、といわざるをえないでしょう。

 

山之内氏は、一執筆者(一市民)として他の執筆者(市民)とつとめて平等公正に負うべき社会的責任問題には、「精神貴族主義的な規準を持ち込み、自分の「関心」を特権化し、「課題」を誇大化し、「知的誠実性」の概念も拡張し/ねじ曲げて(「知的誠実[廉直]」とは、まずなによりも「自分にとって不都合な事態を直視する勇気」のはずです)、ひたすら自分の責任回避を正当化し、責任をとっている他人をけなしつけるばかりで、自分ではけっきょくのところ、なにもなさろうとはしません。他方、「精神貴族主義」的規準が適用されてしかるべき学問内容の問題となると、どういうわけか弱気になって、自説に賛同してくれる人、同意見の人は「あの人、この人」と、「若手」を含めて無思慮に書きまくり(『ニーチェとヴェーバー』、前掲箇所)、「多数決原理」を持ち込むかのようです。今回も、「再呪術化」につき、荒川敏彦氏の名を自分のほうから挙示しました。そういうやり方が、山之内氏自身にとっては「お山の大将」の「精神安定剤」となるにせよ、どんなに「中堅」や「若手」に、いわば「一方的な網かけ/枠づけ」として作用し、精神的自立性/自律性を殺ぎ、当人自身に迷惑をかけるばかりか、学問/学界に「(派閥政治的)集団主義」という弊害をもたらすか、少しは考えてみたらどうですか。そういうやり方も、故大塚久雄氏の「悪しき遺産」のひとつで、故安藤英治氏が闘わざるをえなかった弊害の最たるものではありませんか。

その「集団主義」にかんれんして、「応答」には、山之内氏と、学生さんや「生活者」院生さんとの、『入門』を教材とする「活発な応答」や「大変に濃密な議論」への言及があって、関心を惹きます。では、その人たちのなかに、羽入書を差し出して、「先生は、『入門』の著者として、この本についてどうお考えになりますか」と正面から問うた人が、いたでしょうか。いたとすれば、その問いに山之内教授はどうお答えになったのでしょうか。お答えになったとすれば、『入門』の読者はなにもフェリス女学院大学の学生/院生さんばかりではないのですから、山之内氏は、その内容を公表されるべきだったのではないでしょうか。山之内教授に「怖めず臆せず」、そこまで斬り込む学生/院生さんはいたのでしょうか。それとも「生活者」たちは、山之内「教授の偽の権威主義を本音のところでは見破ってい」て、そういう問いは、文献精読と方法論に弱い教授には答えられないだろうと察知し、まさにそれゆえ「自主規制」してしまったのでしょうか。そのへんのところが知りたいのです。フェリス女学院大学の学生/院生さんで、この「コーナー」をご覧になっている方がおられたら、ぜひ応答をお寄せください(筆者の類例については、「大学院教育の実態と責任」論考のほうで、具体的に取り上げます)。

というのも、山之内教授がいまもって語られる(告白される?)とおり、「大学教授は、そもそも、生活者としての現実に鈍感なまま、その特権的な地位に守られて自己を課題に(過大に?)評価する時代遅れの哀れな存在である」と(は、35年まえの全国学園闘争当時からいい古されてきたことですが、それ)は、教授個人の問題であると同時に、まさにかれをとり巻く「生活者としての日常性にかかわる社会的相互関係の場」と「存在被拘束性」の問題でもあると思われるからです。ここでいわんとすることを明証的に例示するための一仮説にすぎませんが、たとえば外国語系の大学では、主力はなんといっても諸外国語の実践的習得と同系文化の総合的理解とに注がれるため、思想研究も、諸外国/諸思想の幅広い迅速な摂取流行追跡総花的概説に向けられ、日常的な同僚関係、対学生/院生関係における肯定/否定の「サンクション」もその方向にはたらいていて、相応の学風/方法が育ちやすいのではないでしょうか。とりわけ、いったん「傍系有名教授」が登場すると「生けるアクセサリー」として格好なため、珍重/温存され、「主力」のチェックがきかず、「お山の大将」になりやすく、学生/院生とのあいだにも、互いに「不都合な事態」には触れない「心優しい」関係が定着しやすい、とか。

 

このコーナーは、「羽入―折原論争」のために開設され、「山之内―折原論争」のスペースではないのですから、以上で十分としましょう。むしろ、このコーナーにアクセスしておられる良識ある社会人の方々には、以上のコメントでも「深追いし過ぎる」との印象をおもちの向きが多いのではないかと思います。『入門』の著者山之内氏が羽入書に反論できないという事実だけで「すでに決着している」のだから、それ以上原則論を繰り返しても、なんにもならないばかりか、かえって反感を買うだけだろう」と。

ご趣旨は分かりますが、じつは、相手は山之内氏ひとりではなく(そうであれば、「関心がないのでは仕方がありませんから、どうぞご随意に」というだけですむのですが)、氏の背後には、膨大なとはいわないまでも、まだかなりの数のいわば「山之内予備軍」が控えていて、氏の「応答」を秘かに歓迎し、それにならって自分の責任回避を正当化するばかりか、この「コーナー」への参入にも陰に陽に逆襲をかけてきかねない、と予想しなければなりません。ですから、そうした展開も視野に入れ、山之内氏の提示した諸論点に逐一原則的な反論を加えておかなければならなかったのです。

しかし、山之内氏ご自身にたいしても、いまからでも遅くはありません、羽入書と拙著『ヴェーバー学のすすめ』とを先行素材として対置し、相互検証のうえ氏独自の見解を打ち出されるという唯一原則的な対応の道が、あくまでも残されており、山之内氏がそうしてくださるならば、筆者は行きがかりを捨てて、山之内新説を歓迎し、対応する、と申し上げておきます。

では、今日はこのへんで。(2004220日記)